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未来は明るいに決まってる2 [impressions]


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東北地方太平洋沖地震~6日目~ [impressions]

なんとまあ!「5日目」を書いてから6日も経ってしまった。
なんと早い・・・・
前の生活に戻るにつけ、時間の流れる速さも戻ってきたようだ。
地震が起こってから10日間は、ものすごく長かったような気がするのだけれど・・・

6日目。電車は相変わらずヘンテコな時間に運行しているような感じだ。
しかしながら、東武鉄道はなかなか頭を使った。
計画停電が始まって2日目だったか3日目だったか忘れてしまったけど
運行ダイヤを「土休日ダイヤ」に定めたのである。

これはなかなか利口なやり方だったと思う。
通常の8割程度の運転、とかよりも、土休日ダイヤ。
ちゃんと決まっている方がありがたいってもんだ。
東武鉄道の土休日ダイヤ運行は、その後4月3日まで続く。

さて、昨日より少し遅めに家を出た。
北千住に出るまでの電車の中はムギューッ。
立ち位置を間違うとその後数十分の苦行が待っている。
北千住に着いたら今度は日比谷線への階段を上るわけだが、
マア普段からしてみたら尋常でない人の数なため、ホームへの
入場制限が行われている。
むぎゅー。。。。
しかし、日比谷線は東武線からの直通がなく、すべて始発となっているため、
結構な輸送力でわしわし運ばれていく人たちの群れ。
直通電車がないため東武線からの混雑が日比谷線に伝染することも無く
電車の遅延も無い。
むしろ、サクサク進むな・・・と思ったのは私だけだったろうか。

6日目のトピックスと言えば、計画停電だ。
我が家が第2なのか3なのか、その時点でも分かっていなかったが、
本日の夜間停電は第3グループなので、夜間停電してなければ第2なんだろう、
ということになる。

そしてその夜、徒歩30~40分かかる駅に妹夫婦と私の3人が集結。
歩き始めたとたん、暗い。
暗いね?
そう、駅周辺はすでに停電していたのだった。つまり3の地域。
今まで経験したことのない怪しげな雰囲気に戸惑う。
まずは国道方面に出るべく歩いて行くのだが、一人じゃ歩きたくない雰囲気が漂っている。
風もヒューーーーと吹いてて気落ち悪い。
国道に出たものの、明りは車のヘッドライトだけで、信号も消えている。
本当に消えるんだな。
自転車が何台か我々を追い抜いていく。その中にはライトをつけず走ってくる
無謀な輩も。
あのさ、自分の姿も他から見えてないってわかってる?と思う。
車に轢かれちまうぞと。
懐中電灯が2個あったので、前と後ろを照らしながら歩く。
こういうとき、むしろ前より後ろを照らして歩いたほうが良い。
目は後ろについていない。
照らしておけば、自転車が突っ込んでくることは無いだろう。

国道をずっと歩き、途中で右折する。
橋を渡らないとうちに着かないのだ。
橋を渡り始めて気付く。道の左側だけ消えていることに。
街灯も含めて、左だけがきっかり消えていた。

だんだん我が家に近づき、あるところに停電の境目があった。
ああ、この道からこっちは大丈夫なのね・・・
隣家と言っていい場所できっかり分かれている。
わくわくしながら我が家に近づくと、電気が点いている地域だ。
どうやら、うちは2らしいな・・・というのがやっとわかった瞬間なのだった。

しかし長いな・・・
まだ一週間経たないのか、と思う。
異常時は一日がものすごく長く、そして濃いのだ。
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東北地方太平洋沖地震~5日目~ [impressions]

今日はどうやら電車が動いているらしい。
始発で会社に行きました。

やっぱし、企業人として過ごしていると、働かない数日間が
なんだかとてもつらいというか、申し訳ないというか、
そんな気持ちになる、嗚呼私も純日本人。

イラン人の夫は「世界が全部日本人ならいいのに」と言った。

ところで5日目。電車は動いていたけれど、昨日動けなかった東武線沿線の
住民の気持ちはどうやらひとつになっていたらしく、始発からものすごい
状況に。
本当に、日本人って真面目ですね。
偉いですね。

会社には8:00ごろについた。
私にできる仕事は、生憎沢山あった。

なんかよく覚えていないけどがむしゃらに働き、終業時刻。
計画停電のために最寄りの駅まで電車が動いておらず、
そんな中での最寄りの駅から歩く。だいたい40分くらいか。

人って、異常事態の中だと結構がんばれる。
なんか、がんばれるんだなと思った。
40分歩いて自宅に帰る。
歩いて帰れるだけまだまし、なんて思うのは、地震当日
帰宅難民になったからだろうな。
歩ける距離なら歩きますから~。

これでまだまだ5日目。
いろいろある毎日だと思う。
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東北地方太平洋沖地震~4日目~ [impressions]

計画停電初日。
昨日発表されて今日から、って。スピード感がすごすぎる。
計画停電、自分が第何グループなのかよくわからない。
というのも、一覧の中に自分の家の地名が2個入ってて
そのどちらになるのか調べる術がないのだ。
東京電力のコールセンターは当然ながら電話つながらず。

2なのか3なのか・・・・
その前に仕事に行けるのか(なんて勤勉なんでしょう)

電車は、大晦日の終夜運行のレベルでしか動かないことが分かった。
地震の日に私が歩いて到達した足立区までいかないと、電車は
動いていない。
いけるわけない。
テレビやホームページではそうなっていたけれど、念のため確認しよう
と思い、最寄りの駅にチャリで向かう。

朝6時、ちゃんと出かける支度をした人が、出かける気で駅に向かっている。
いやいや、動いていないからさ・・・・
ああいう人は本当にテレビとか見てないんだろうか。
それとも、冗談だとでも思っているんだろうか。
若干自分も半信半疑なので、冗談とは言わないまでも
嘘かもねと思いながら駅に向かったのは事実。

駅は電気が消えていて、やってませんというのが一目でわかった。
そこに集まる駅にやってきた人達。
駅員さんは多分一番の若手を配置したのだろうか。
ムゴイ。
60代くらいのオッサンが早速駅員にかみつく。
「もっと告知しなきゃだめじゃないか!」と。
駅員の兄ちゃんはとりあえず「申し訳ございません」と謝る。
それを見てちょっとむかついたので
「オジサン、テレビでやってるよ!」と捨て台詞を吐き
家に戻った。
この状況の中でテレビ以上の告知媒体があるかよ。
オマエんちまで「明日は電車動きませんから」と言いに行けと言うのか。
自分の情報収集能力不足を棚に上げて人に当たるとは
随分と危機感ないオッサンだな。
事実、駅員さんはこれっぱかしも悪くないのだから。

しかしオッサンも気持ちが混乱している中、
朝から見知らぬ女に一喝されてさぞかし気分が悪かったことであろう。
ざまみろだけど。

そんなわけで朝からちょっと盛り上がりはしたものの、仕事にはいけないので
家でじっとしていることにした。
やれることがないのでホームページに掲載するごあいさつ文言などを考えて
メールを送ってみたりする。

しかし東武鉄道、ちょっと弱気すぎるな。
明日は、どうなるのか!?
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東北地方太平洋沖地震~3日目~ [impressions]

3月12日の午後、妹夫婦が無事に我が家に到着した。
道も相当混んでいたらしい。
風呂を沸かしていたのでとりあえず入ってもらう。
夜になり、ガッツ部長からTEL。停電になるかもしれないから
明日(日曜日)は出勤せず様子見て、月曜日に一気に片づけよう
との指示。
余震のある中都内まで出て、あのやたらに揺れるビルの中に入るのも
いやだなと思っていたので、素直に指示に従うことにした。

原発は水素爆発で建屋が吹き飛ぶなど、なにやら不穏な雲行き。

翌3月13日、ラッキーを実家に預けるため実家に向かう。
明日からの一週間は計画停電とやらで、どんな感じになるか分からない
故の措置。苦渋の選択。
日中人がいなくなるのはラッキーにとって良くないと判断したわけだが
寂しさ半分、ホッとした気持ち半分・・・
やはり、地震当日の自分の心理状態が大きく影響していると思われる。
余談だが、地震翌日から今まで、ヒールのある靴はいっさい履けなくなった。
多分しばらくはスニーカーで過ごすだろう。
ほんのちょっぴりの、これがわたしのトラウマ。

埼玉県から茨城県に向かう道はさほど混んではいなかったが、
途中で寄ったスーパーはすでに品薄状態だった。
水はまあ、無いね。
水道から水が出る地域なのに、なんで水がこんなに早く売り切れるんだろうと思う。
私が無知なのでしょうか。買う必要ありますか?

実家にラッキーを預けしばしのお別れ。
散歩に行っている間にこっそり帰ってくるのがお約束。
昔は私のことを探して探して大変だったようだが、6歳となった今
慣れたのか、さほど動揺もせずあっさりなじんだらしい。
まあ、春休みに田舎のおばあちゃん家にいくみたいなモンだよねきっと・・・

こんな感じで日曜が終わって行く。
明日から正常な生活ができるのか、はまだ誰にもわからない。

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東北地方太平洋沖地震~翌日~ [impressions]

タイトルには翌日、と書いたがまだ当日である。
タクシーのおじさんが「ガスは止まっているだろうから、そうしたら外の
元栓のところのボタンを押して解除するんだよ」と教えてくれたが
そんな作業をするまでもなくガスストーブは普通に点いた。
・・・こんなんで大丈夫なの?・・・
水も出るし電気も点く。埼玉県の地盤の妙な安定感にやや驚きつつ、
今までわれが歩いてきた道のりだとか、帰宅難民の群れだとか思い返しながら
なんか現実感ないんだけど、まったくの現実なんだよな・・・。

ちなみに、会社の前で別れた同僚とは一切連絡が取れない。
電話もつながらないしメールの返信も来ない。
大丈夫かなぁと思いながらも、やっぱり寝る。
明日仕事なんだけど行けるのかなぁ・・・

夜中、防災放送が2度ほど鳴る。
今思えばアレは多分、緊急地震速報だと思う。
寝ながらもゆらゆら揺れているのはわかり、当然眠りは浅い。
そして携帯にメールがぽつぽつ入る。
今までせき止められていたのが徐々に流れている感じだ。
時間も順不同で、世間が混乱しているなぁ、というのを感じる。

翌朝5時に起きいろんな情報を確認したところ、電車が動いていないことが
分かった。
これでは仕事には行けない。
朝5時台だったけど判断をあおぐために社長に電話。
まったく話にならず、部長に電話。
電車が動いて行けそうなら出勤してと言われる。

分かったのは、危機管理が全くできていない会社だったんだなと
いうことだけだった。この状況下では結構致命的だと思う。

朝9時になっても電車は動かず、その時点でもうすっかり行く気は失った。
また昨日みたいに電車が止まったらたまらない。
今日は行けそうにありませんが明日必要があって行ける状況なら
行きますと連絡を入れた。
私の代わりに部長が出勤してくれたらしいが、正直ガッツあるなとしか
言いようがない。
私にはそのガッツはなかった。

そうこうしているうちに妹から連絡が入る。
千葉県某所に住む妹夫婦は液状化現象というパンチを喰らい、
自宅が断水したためうちに避難してくることになった。
困った時はお互い様だ。
準備のため布団を干す。
しかし液状化現象とは・・・・本当に起こるんだな・・・・
普段は風光明美な東京湾岸だが、実は思った以上に脆かった。
普段はなんの面白みも無い埼玉県だが、何もないが故の安定感は
ハンパないということが良く解ったのだった。
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東北地方太平洋沖地震~当日~ [impressions]

ひさびさにブログの管理画面を開いた。
地震のこと、やっぱり記録しておかないといけないと思った。
地震が起こってから10日間で起こったことを書き記そうと思う。

3月11日 当日
金曜日、夜はホットヨガに行こうと思い、準備をして家を出た。
特に何の予感もない、普通の金曜日。
勤め先は築地にある雑居ビルの7階で、お昼から戻ってから
何をやっていたのか、よく覚えていないけれど机の上は書類でいっぱいだった。

14:46揺れが襲う。
襲う、と書いたが、襲われた感じは当初全くなく、
何か揺れているな、と思った。
長いな、と思った。
長い。揺れが激しくなってきた。
「机の下に入れ!」と社長が叫んだ。
多分言われるより早く入っていたかも(笑)
机の下にもぐってからもゆれはどんどんどんどん激しくなり、
積んであった段ボールは崩れ、コピー機が向かってきた。
とにかく長かった。何分くらい揺れたのだろう。
5分くらいに感じたが、実際は2分くらいではなかっただろうか。

揺れが収まった後机の下から出てみると、すべてが倒れている感じ。
机の上もめちゃくちゃなのに、なぜか中身の入ったコーヒーカップは無事だった。
不思議な光景。
多分そのあと、茨城沖を震源にした2発目が来たのだろう、揺れた。
余震かと思ったけれど、実際はあれも余震ではなかった。

とりあえず下に避難しよう、そうしよう、ということになり
階段で下まで降りた。エレベーターはなぜか6階で止まっており
動く気配はない。
この近くの避難場所はどこか、明確な答えを持っている者はおらず
まあ、そんなものだ。平常時はそんなこと気にもしない。
会社のあるビルから聖路加国際病院まで歩いた。
築地近辺には古い家が多いのに、案外被害はないように思えた。

下に降りてすぐ、実家に電話した。
なかなかつながらなかったが、何度目かで父親の携帯にかかった。
最初は向こうが音声を聞き取れず、かけなおす。
なんとかつながって無事を確認した。
でもそれ以降、実家には翌朝まで電話がつながらなくなる。
その合間に兄、妹、義弟からメールがどんどん入る。
といっても、問い合わせをしないとうまく入ってこなかった。
誰か実家に連絡取れた者はいるかとの兄の問いかけに
お父さんと話したよ、無事だったよと返す。

きっとこんなことがなければ立ち入ることもなかったであろう聖路加国際病院の中庭で
ワンセグでテレビを見ると、津波警報の文字が躍っていた。
3m、6mと数字が上がっていき、ついには10mの大津波警報の文字が。
まさか、10mなんてありえない、そんな風に思ったけれど
そう思った時にはもう、津波が到達していた場所があった、と今では思う。
夢ではない、現実だった。

30分ほどその場に居て、会社に戻った。
中はめちゃくちゃで、足の踏み場もないという感じ。
とりあえず身の回りを片づけていると、また揺れた。
今日はもう危ない、このビルから出よう、そう社長が言った。
お客さんどうしよう、大丈夫かなと思ったけど、身の危険を感じてそのまま従った。
外に出て円陣になり、どうするどうするが始まった。
私はラッキーのことが心配で心配で居ても立っても居られない気分だった。
この場でじっとしてはいられない、無駄に時間を使えないと思い、私帰ります
帰っていいですかと宣言した。
もちろんその時点でなんのアイデアも無かった。
電車も止まっているし、どうやって帰るのだろう。今ならそう思うが・・・
とにかく家に帰りたかった。

16:30築地から徒歩で帰宅の途に着く。
あとから調べたところによれば築地から自宅までは約40キロある。
まあよく帰るなんて言ったもんだと今になって思う。
知らぬが仏とはこのことかもしれない。
幸いなことにその日はペタンコのローファーをはいていた。
スニーカーではないけれど、ヒール靴ではないから歩きやすい。
ついていた。
わたしは足首が弱く、うまく歩かないと捻挫しやすい。
怪我をしないように、それを一番気をつけた。

築地からスタートして八丁堀、茅場町、人形町と、新大橋通りをずっと歩いていく。
馬喰町あたりで清洲橋通りに入り、その後靖国通りから昭和通りへ出てひたすら
4号線を北上。秋葉原のあたりで人がぐっと増え歩きにくくなる。

スタートから2時間半、19:00の時点で北千住に到達。
このまま歩いて帰るのはムリだなとうすうす思い始める。
4号沿いに大きな自転車屋があったので駆け込む。
店内には自転車を買い求める人が沢山居て、自転車購入までに2時間と言われ
そんなには待てないと店を飛び出す。
やはり考えることは皆同じ。いかに早く手段を見つけ手に入れるかが
カギとなるのだ。

北千住から小菅方面にわたる千住新橋(荒川)の風のなんと冷たく強いこと・・・
夜、それも歩いて渡るなんて想像もしなかったが
実際今私はこの足で渡っており、まわりにはたくさん人がいる。
横を走る車は徒歩で北に向かう人々よりむしろ遅く、
車に乗っている人と乗っていない人の違いは、体力を使っているかいないかだけだ。
途中入ったセブンイレブンにはおにぎりやパンなどは何もなく
目にはいったおまんじゅうと干し梅を非常食として購入。
水分はトイレに行きたくなるので買わなかった。
途中にはたくさん自販機があり、今買わなくてもいつでも買えると思った。
トイレは途中1回だけ、スタンドで貸してもらった。

足立区にもなればタクシーを降りる人もいるに違いない。
少なくとも草加まで行けば絶対にタクシーは拾える。
確信なのか希望なのか、なぜか強い思いを抱きながらひたすら歩く。
ラッキーに会いたい。会いたい。会いたい。
夫はいま国に帰っており、家にはラッキーが一人でお留守番。
自宅の状況が全く分からなかったので、もしかしたら食器棚の
下敷きにでもなって死んでいるかも・・・ということまで想像した。
肝を冷やしながら歩き続ける。

向かい側に空車のサインを出したタクシーがチラチラと現れ始めた。
しかしこの渋滞・・・向かいから乗ってスムーズに埼玉方面に向かえると
思えない状況。
もう少しがんばろう。足立区役所を過ぎ、まもなく竹ノ塚というあたりで
左側の横道に信号待ちで並ぶ車の中に赤い光を発見!
走る走る!
ようやく空車が見つかった!
歩き始めて4時間、築地から15キロの時点だった。

個人タクシーのおじさんは築地から歩いてきたというと驚いていた。
普通に聞いたら驚くかもしれないが、多分今歩いている人たち
みんなそんな感じだよ。
車の中は温かくて、すごく幸せだった。

車になってから1時間、ようやく自宅に到着・・・・
車はやっぱり早い。
こわごわ車から降りて近所を見渡すと、妙に静か・・・・
なにこの「何もなかった感じ」は・・・
おののきながら家に入る。ラッキー、生きてた!
さらにおののきながら一番危険だと想像していた台所(キッチンに非ず)へ入る。
食器棚が倒れて冷蔵庫が動いて・・・・
と思っていたが、朝家を出たときと何も変わっていない。
なーにーィ!?
あわてて2階に上がり惨状を確認する。
洋室1・・・エアコンの部品が一部外れている
洋室2・・・物入れのなかから荷崩れが起こっている
和室・・・・たんすの上のホコリがふわっと落ちている。

・・・・なんの被害も無かった・・・・・

会社から自宅までかかった時間5時間。
かかった費用1万円。
被害なし。

なお、勤務先の中で、当日中に自宅に戻ったのは私と、目黒区に住むもうひとりのみであった。
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涙の日曜日 [日常]

今日悲しい出来事があった。

明け方4時、カメルーン対デンマーク戦を観ていた時
なにやら鳥の声がする。
途切れなくずっと鳥の声がする。

なんと。。。。
マリがスズメの仔をどこからか持ってきてた(;´д` )

あわてて引き離し保護する。
片方の翼の根元がやられてる感じ。
キビシイな・・・と思いながら箱にタオルを引き
砂糖を溶かしたお湯を飲ませてみる。

翌朝、市内の動物病院何軒かに電話してみるが
見てくれる動物病院がナイ。
隣の町に一軒あったので連れていく。

先生といろいろ話し、帰りに餌となる虫などを買い
家に帰って食べさせてみたら食べた。
ケガはしているけど、生命力の強さに期待していたのだけど・・・

結局・・・死んでしまいました。
見つけてから12時間持ちませんでした。
1時間前まで生きていたのに、1時間後に見に行ったら
倒れていました。

野生の鳥は、自分の弱みを見せないようにふるまうから
見た目にわからなくても、急に死んでしまうことがあると
書いてあったけど、それを目の当たりにしてしまうとは。

子スズメちゃんは、ピーピー鳴いていました。
お母さんを呼んでいたのでしょう。
それにこたえるような、鳴き声も聞こえていました。

切ないです。涙が止まりませんでした。
これが、野生の世界だと、いえばそうなのですが
それでも・・・・

助けてあげたかったな。
もう一度、外の世界に戻してあげたかった。
本当に残念でなりません。
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