ペルシャ探訪2007~食生活その2 [Salam]
イランの米はタイ米の如く細長い。
白米で食べるときも上にターメリックをかけて食べたりする。
ポロと呼ばれる炊き込みご飯(ピラフ)はかなりウマイ。
肉は牛か羊か鶏、そして魚も食べる。
イスラムの国だから豚はない。
今回の旅で強烈に感じ入ったことのひとつに、肉屋のことがある。
イランではスーパーマーケットは一般的ではなく(というかむしろないのかも)、
肉は肉屋、野菜は八百屋、魚は魚屋で買うのが一般的だ。
その中でも日本人の私の目から見てひときわ目を引くのが肉屋だった。
肉屋には、片手に包丁、もう片手に包丁研ぎを持って、包丁をシャーシャー研ぎながら
肉を切るおじさんがいる。
肉は何グラム、なんてちんまりした単位ではなく、キロで買う。
肉屋の壁のフックには頭がない羊の肉がぶら下がっている。
頭がなくて毛がないだけでほぼ原型をとどめている。
肉屋によっては、羊の頭だけを売っていることもある。
肉屋の外にはトラックがあって、荷台には動物の糞らしきものが。
生きてたから糞をした。
でももうこのトラックにはいない。
そう、肉屋は肉を仕入れるのではなく、生きたままの動物を仕入れて、
ここでさばくんだ。
肉屋は狭いが大人が3人も働いていて、その中で小学生くらいの男の子が
手伝いをしていた。
彼らは日々、命を目の当たりにしながら暮らしている・・・
それをみたとき、強烈に「生かされている」ということを感じた。
今、そこの壁にかかっているのは、人間に食べられるために育てられた生きもの。
私は、夫は、ラッキーのことを可愛いと思い、
ラッキーがおなかをこわしたと、日本から電話があっただけで動揺する。
この違いはなんなんだろうか。ふと考えてしまった。
生きるということはほかの生きものの命をもらうこと。
それが人間が生きるということなんだなぁ、と。
日本では、「生き物の命」はパック詰めされて、キレイになって、
まるでそんなことなかったかのように日常的に売られているけれど、
本当はそうじゃない。
イランと同じで、日々生きものの命を目の当たりにしながら働いている人が
いるんだよ。
肉屋はヘビーだ。
そうなんですよね~。
お肉にしても野菜にしても、これは命なんだってことをちゃんと知っていれば、残したり、好き嫌いなんて本当はワガママいえないはずなんですよね。
ついつい忘れがちですが、食べ物を大事にいただくんだ、と気持ちを新たにしたいと思います!
by ★いず★ (2007-01-18 23:28)
今の日本は、この食べ物がどうして今この形になって
ここに存在しているか、という、リアルなところがわからない
仕組みになっているよね。
それを批判するつもりはないんだけど、時々自分の
世界観を壊すような場所を訪れることで、忘れていたこととかを
思い出せるのかもなって思う。
誰かの犠牲の上に成り立っていることを忘れずにいたいね。
by ayupot (2007-01-20 09:36)